「坂田金時を育てた山姥」伝説—山に棲む妖の母

古来より、日本の山々には人知を超えた存在が棲むと信じられてきた。
その中でも特に名高いのが「山姥(やまんば)」という、恐ろしくも神秘的な存在である。

山姥は人を喰らう鬼女として語られることもあれば、道に迷った子どもを助ける優しい母として描かれることもある。
そんな二面性を持つ彼女の中でも、とりわけ有名なのが——英雄「坂田金時(金太郎)」を育てた足柄山の山姥の物語である。

これは、人と妖、母と子の境界を越えた絆の伝説である。

深山の静けさ

その昔、相模国(現在の神奈川県)と駿河国(現在の静岡県)との国境近く、足柄山(あしがらやま)と呼ばれる深い山奥に、一人の老女がひっそりと暮らしていた。
老女は村人たちから「山姥(やまんば)」と呼ばれ、人々は彼女に近づくことを避けていた。

山姥の住む山は、濃い霧が立ちこめ、常に獣の咆哮と木々の軋む音が鳴り響いていた。
誰もがそこには魔が住むと恐れていた。

だが、その山姥の庵(いおり)からは、時折、赤子の泣き声が聞こえてきたという。
「なぜ、あのような者のもとに赤子がいるのか」
村人たちは不審に思いながらも、誰もその真相を確かめようとはしなかった。

赤子の来たる夜

ある夜のこと、山の峰に激しい雷鳴が轟いた。
空は真っ赤に燃えるようで、黒雲が山を呑み込んでいた。

その夜、山姥は岩屋の中で一人、焚火に手をかざしていた。
そのとき、谷のほうから、女の悲鳴と、産声のような声が響いた。

山姥が急ぎその声のするほうへ向かうと、そこには血に濡れた若い女が倒れていた。
すでに命は尽きていたが、胸の中には、かすかに動く赤子がいた。

「命の最後まで、この子を守ったのか……」

山姥は、女の亡骸に手を合わせ、赤子をそっと抱き上げた。
それが、のちに「金太郎」と呼ばれる坂田金時であった。

山の中の育児

山姥は、その日から赤子を自分の子として育て始めた。
名を「金太郎」と名づけ、乳の代わりに山の草根や獣の乳を与え、厳しい自然の中で育てた。

金太郎は、赤子のころより人並外れた力を持っていた。
三つの頃には、大石を持ち上げ、五つの頃には山道の巨木を引き抜いて遊んだ。

山姥は彼に、獣との言葉を教え、山の掟を伝えた。
そして、金太郎は熊、猿、鹿、狐などと遊び、彼らを友達と呼んだ。

ある日、山姥が金太郎にこう尋ねた。

「お前が大人になったら、どうしたい?」

金太郎は笑って答えた。

「もっともっと強くなって、山も海も越える!」

その言葉に、山姥は静かに微笑んだ。

力試しと出会い

金太郎が十二の歳になるころ、その名は山を越えて人々の耳にも届くようになった。

「足柄山に怪童あり。熊と相撲をとり、木を裂くという」

ある日、京より来た源頼光(みなもとのらいこう)の一行が、東国にて鬼退治を行うため、強き者を探して山を訪ねた。

山で頼光の家来の碓井貞光(うすいさだみつ)と出会った金太郎は、相撲でその力を見せ、貞光を感嘆させた。

「この童、まことに只者ではない。殿の御眼鏡に叶うであろう」

金太郎は頼光に謁見し、強き志を持って仕えることを願った。

別れの朝

金太郎は、山姥のもとへ帰ると、彼女はすでに支度を整えていた。

「行くのだね」

その声は寂しげでありながら、どこか嬉しそうでもあった。

「母上……育ててくれて、ありがとう」

金太郎が頭を下げると、山姥はその背を抱きしめ、そっと囁いた。

「人の世へ行きなさい。そして、強さだけでなく、心を持って生きなさい」

山姥の目には、一筋の涙が光っていた。

その朝、金太郎は山を下り、坂田金時と名を改め、頼光四天王の一人として名を轟かせることになる。

母、山に残る

金時が山を去ったのち、山姥は再び人前に姿を現すことはなかった。

だが、山を旅する者の中には、「赤い着物を着た老婆に道を教えてもらった」「白髪の女が、倒れた木の下から助けてくれた」などの話が伝わっている。

もしかすると、あの山姥は今でも山中で母のまなざしを持ち続け、息子の帰りを静かに待っているのかもしれない。

山の母なる存在

山姥とは、ただ恐ろしい妖怪ではない。
彼女は人の命を喰らう鬼であると同時に、命を育み、山の中で静かに生きる母性の象徴でもある。

坂田金時という英雄の影には、人ならぬ者の深い愛情があった。

その伝説は、今日まで語り継がれ、山に響く風の音とともに、静かに息づいている。


坂田金時の名は、やがて武士として、英雄として、日本中に轟くこととなる。
だが、その強さと優しさの根源には、妖でありながら母であった山姥の存在が確かにあった。

山姥の伝説は、ただの怪異譚ではない。
それは、人ならぬ者が持つ、人よりも深い情の物語。
忘れ去られた山の中に、今もなお息づく、愛のかたちなのである。