妖怪はいつから日本にいるのか?──奈良時代、8世紀の文献にすでに登場
妖怪の存在はいつから人々の間で語られるようになったのでしょうか?
この問いに対する、最も具体的で明確な答えは──奈良時代、8世紀初頭に編まれた『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)に、すでに“妖怪的な存在”が登場しているということです。
たとえば、「八岐大蛇(やまたのおろち)」は巨大な怪物であり、自然災害の象徴ともされる存在です。
また、死者の国から追ってくる「黄泉醜女(よもつしこめ)」、暴れ神としての「スサノオ命(みこと)」など、現代の妖怪のイメージにつながる要素をすでに備えています。
つまり、日本の妖怪の原型は、8世紀の国家成立期にはすでに文献に記録されていたのです。
本記事では、その後の妖怪がどのように形を変えながら受け継がれてきたのかを、時代ごとに詳しく見ていきます。
平安時代:陰陽道と怨霊信仰により「妖怪」の概念が定着
平安時代(794年〜)には、中国から伝来した陰陽五行思想と日本古来の信仰が融合し、「妖怪」や「鬼」などの怪異の概念が明確になります。
陰陽師によって、怪異は呪いや病、災厄の原因とされ、祓いや封印の対象となりました。
この時代には、『今昔物語集』や『日本霊異記』といった説話集に、妖怪や鬼、怨霊の記録が数多く残されており、庶民から貴族まで広く妖怪を恐れ、語り継いでいたことがわかります。
鎌倉・室町時代:戦乱とともに増す怨霊と鬼の存在感
鎌倉(1185年〜)・室町時代(1336年〜)は戦乱が続いたため、恨みを残して死んだ者の魂が「怨霊」や「鬼」として語られました。
鬼はもともと山の異形の存在でしたが、この頃から「人間の怨念が変じた存在」として語られるようになります。
『御伽草子』などには、こうした怪異が物語として語られ、庶民の間で妖怪のイメージが広がっていきました。
江戸時代:妖怪ブームと視覚化の時代
江戸時代(1603年〜)は平和が続いたこともあり、妖怪は恐怖の対象から娯楽や文化の一部として楽しまれるようになります。
特に有名なのが、絵師・鳥山石燕による『画図百鬼夜行』。
ここで多くの妖怪が図像として整理され、現代の妖怪のビジュアルイメージの基礎となりました。
また、『百鬼夜行絵巻』や浮世絵、黄表紙といった庶民向けの出版物にも妖怪は多数登場し、見世物小屋などでも妖怪が披露されました。
明治時代以降:妖怪は迷信として否定されるも、学問として再発見
明治維新(1868年)以降、近代化と西洋化が進む中で、政府は妖怪や迷信を「前近代的なもの」として排除しようとしました。
学校教育では妖怪は単なる昔話とされ、科学的説明が重視されるようになります。
しかし、民俗学者・柳田國男によって、妖怪は地域文化や信仰と深く結びついた存在として再評価され、学問的に研究されるようになります。
昭和・平成・令和:都市伝説とアニメ・ゲームの中の妖怪たち
昭和後期以降、「口裂け女」や「人面犬」などの都市伝説が流行。
これらは、現代の不安や社会の変化を反映した「新しい妖怪」として捉えられることもあります。
また、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめとする漫画・アニメ、ゲーム作品(『妖怪ウォッチ』『鬼滅の刃』など)によって、妖怪は現代のポップカルチャーの一部として生き続けています。
近年では、ARやVR技術を用いた妖怪体験コンテンツ、SNSで拡散する「現代怪談」など、新たな妖怪文化のかたちも登場しています。
まとめ:妖怪は8世紀から現代まで、形を変えながら日本文化に生き続けている
妖怪の起源は、明確に奈良時代の『古事記』『日本書紀』に遡ることができます。
そこから平安時代に概念が定着し、江戸時代に視覚化され、現代では都市伝説やメディア作品として再解釈されるなど、妖怪は常に時代の鏡として変化しながら生き続けてきました。
恐怖や畏れ、娯楽や教訓、そして文化資産──そのすべてを内包する妖怪たちは、今後も新しい姿で私たちの前に現れ続けることでしょう。