私たち人間にとって避けられないもの――それが「死」と「生」です。
なぜ人は死に、そしてなぜ命は次々と生まれてくるのか。
その根源を語る物語が、最古の歴史書『古事記』に記されています。
そこには、国生みの神であるイザナギとイザナミの愛と別れ、そして黄泉の国(よみのくに)で繰り広げられる壮絶な出来事が描かれています。
この物語を通して、「死」と「生」の概念がどのように始まったのかを、古代の人々は理解しようとしたのです。
黄泉国の物語 ― イザナギとイザナミ、そして黄泉醜女
はるか昔、まだ天地が分かれたばかりのころ。
神々は次々と生まれ、大地は形を整え、海と山と森が姿を現していきました。
その中心にあったのは、国生みの夫婦神 ― イザナギ と イザナミ。
二柱は力を合わせ、島々を生み、山や川を作り、多くの神々をこの世に送り出しました。
しかし幸福は長くは続きませんでした。
イザナミは火の神 カグツチ を産んだとき、その炎に焼かれて命を落とします。
偉大な創造の女神の死は、天地を震わせる大きな出来事でした。
愛する妻を取り戻すために
イザナギは絶望しました。
彼は深く嘆き、どうしてもイザナミを失うことに耐えられません。
やがて決意します。
「黄泉の国へ行こう。もう一度、妻を連れ戻すのだ。」
彼は黄泉の国 ― 死者の棲む暗く淀んだ世界 ― へと足を踏み入れました。
黄泉での再会
暗闇のなか、ついにイザナギはイザナミを見つけます。
その声はかつてのまま、優しく響きました。
「あなた……よく来てくださいましたね。けれど、もう遅いのです。
私は黄泉の食べ物を口にしてしまいました。だから、この国から戻ることはできません。」
そう告げながらもイザナミは言います。
「それでも……黄泉の神と相談してみます。だから、どうか私の姿を覗かないで、少し待っていてください。」
イザナギはうなずき、暗闇の中で待ちました。
禁忌を破る
しかし、彼は耐えきれませんでした。
髪に挿していた櫛を折り、火を灯して周囲を照らします。
そこに現れたのは、かつての美しい妻の姿ではありませんでした。
肉は爛れ、蛆が体を這い、八柱の雷神が体に宿っていたのです。
「――!」
イザナギは声を失い、恐怖に駆られて逃げ出しました。
黄泉醜女の追撃
その叫びを聞いたイザナミは激怒しました。
「見てはならぬと申したのに! 恥をかかされた!」
彼女は黄泉の女鬼 ― 黄泉醜女(よもつしこめ) を差し向けます。
恐ろしい鬼女たちが群れをなして、イザナギを追いかけてきました。
イザナギは髪飾りを投げ捨てます。するとそれは葡萄となり、醜女たちは貪り食べて足が止まりました。
さらに櫛を投げると、そこから竹林が生い茂り、追撃を妨げました。
しかし、それでもなお黄泉醜女たちは執拗に迫ります。
桃の霊力
絶体絶命の中、イザナギは桃の木を見つけます。
枝から三つの実をもぎ取り、黄泉醜女に投げつけました。
するとどうでしょう。
桃の実は強い霊力を持ち、鬼女たちは恐れ退散していきました。
イザナギは救われ、桃に深く感謝してその木に「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」という神名を与えました。
黄泉比良坂での決別
それでもイザナミ自身が、恐ろしい姿で追い迫ってきます。
イザナギは必死に走り、ついに「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という境界へ辿り着きました。
そこで大岩を転がし、道を塞ぎます。
岩を隔てて、二人は最後の言葉を交わしました。
イザナミは怒りに満ち、こう叫びます。
「あなたがそうするならば、私はあなたの国の人々を一日に千人、必ず殺してやりましょう!」
イザナギは毅然として答えました。
「ならば、私は一日に千五百の産屋を建て、人を生ませよう!」
こうして、死が避けられぬ宿命である一方で、新たな命が絶えず生まれ続ける理(ことわり)が、この世に定められたのです。
永遠の別れ
こうして、イザナギとイザナミは永遠に別れました。
黄泉醜女は死の恐怖を象徴し、桃は魔を祓う霊力を示しました。
そして「生」と「死」の均衡は、この物語を通じて初めてこの世に根づいたのです。
物語の考察・解釈
この神話には、多くの象徴的な意味が込められています。
まず、イザナギを追いかける黄泉醜女は、死の穢れそのものを体現しています。
人は誰しも死から逃れることはできず、避けようのない現実として死が迫ってくる、その恐怖や不気味さを彼女たちは象徴しているのです。
一方で、イザナギを救った桃の実は、死や穢れを祓う力を持つ果実として描かれています。
古代中国や日本で「桃」が魔除けの象徴とされてきた背景がここに表れており、この物語は後世の「桃太郎伝説」や、鬼を祓う節分行事へとつながる文化的土台となったと考えられます。
さらに、現世と黄泉の境界である黄泉比良坂に置かれた大岩は、生者と死者を隔てる「結界」の象徴です。
生と死の世界が交わらないように、境界線を定める行為として描かれ、この世の秩序を守る重要な役割を担っています。
そして何より印象的なのが、最後に交わされたイザナギとイザナミの言葉です。
イザナミは「一日に千人を殺す」と語り、死が必ず訪れることを示します。これに対してイザナギは「一日に千五百人を生ませる」と応じ、生の連続を誓います。
この対話は、人間が死を免れない存在であると同時に、命は次の世代へと受け継がれていくという自然の摂理を語っているのです。
こうして黄泉国神話は、死の恐怖だけでなく、生と死が共に在り続ける世界の均衡を示す物語として、今も深い意味を持ち続けています。