アマビエとは?
江戸時代の末期、アマビエは当時の瓦版(かわら版)に登場した半人半魚の妖怪で、疫病退散のシンボルとして知られる存在でした。
ある言い伝えでは「疫病がはやったら『アマビエ』を写して人に見せなさい」と伝えられており、その姿を描いた絵を見ることで病から逃れられると信じられたのです。
アマビエの姿と予言
江戸時代末期の瓦版に描かれたアマビエ(1846年刊行)は、長い髪と全身の鱗(うろこ)に覆われた人魚のような姿で、くちばし状の口を持つのが特徴です。
夜ごと海中に現れて光を放ち、豊作と疫病の到来を予言したと伝えられています。
そして「もし疫病が流行したら私の姿を描き写し、人々に早々に見せよ」と告げ、海中へと消え去ったとされています。
この不思議な妖怪は、後に疫病除けの守り札のような存在として語り継がれていきました。
江戸時代のパンデミックとアマビエの誕生
繰り返された疫病の猛威と人々の恐怖
アマビエが現れた背景には、当時の 疫病流行 が深く関係しています。
江戸時代、日本では天然痘(てんねんとう)や麻疹(はしか)などが繰り返し大流行し、人々を苦しめていました。
強い伝染力と高い死亡率を持つ天然痘は6世紀頃に日本に伝わり、江戸時代には何度も流行を繰り返しており、徳川幕府の将軍でさえ何人も天然痘にかかった記録があります。
やがて19世紀に入ると外国船来航に伴い新たな疫病であるコレラがもたらされ、安政5年(1858年)には江戸の町で約10万人(記録によっては20万以上)もの死者が出たとも言われる大流行となりました。
こうしたパンデミックは当時「コロリ」などと呼ばれ、人々に恐怖を与えたのです。
信仰とまじないに頼る庶民の姿
しかし、当時は現代のような有効な治療法やワクチンはなく、医学も発展途上でした。
そのため、人々は病に対し 民間信仰やまじない にすがることが少なくありませんでした。
天然痘は「疱瘡神(ほうそうがみ)」という神様として擬人化され、軽く済むようにと祈ったり、赤色が疱瘡神の苦手な色と信じられて赤い布を飾ったりする風習もあったほどです。
同様に、未知の疫病コレラが猛威を振るうと、人々は奇跡的な解決策を求めました。
そこで現れたのが、疫病を予言し退散させるとされる妖怪たちだったのです。
アマビエの登場とその意味
アマビエが最初に記録された弘化3年(1846年)は、大規模疫病の記録が残っていないものの、人々の間には疫病への不安が常に存在していました。
そんな中、「豊作が続くが疫病も流行する。だから私の姿を人々に見せよ」と告げるアマビエの噂は、人々にとって 希望の光 のように感じられたことでしょう。
実際、同時期には各地で似たような予言妖怪の瓦版が売られ、江戸の町では飛ぶように売れたとの記録もあります。
一説には、こうした瓦版は人々の不安につけ込んで売られた商売上のおまじないグッズだった可能性も指摘されていますが、それでも庶民にとっては「絵姿を見るだけで疫病を避けられるかもしれない」という心理的安心を得る貴重な手立てだったのです。
恐ろしい疫病に立ち向かうために、生まれたばかりのアマビエという妖怪は、人々の願いと共に受け入れられていきました。
妖怪文化とアマビエ:信仰と民間伝承
疫病予言妖怪の仲間たち
江戸時代の人々にとって、妖怪は単なる迷信に留まらず、民間信仰 や娯楽の一部として生活に溶け込んでいました。
怪異な現象や災厄は、しばしば妖怪や神様の仕業として語られ、それに対処するためのおまじないや風習が各地に伝わっていました。
例えば、先述のアマビエのように疫病を退散させると信じられた妖怪は他にも存在します。
江戸時代から明治にかけて各地に現れた予言妖怪として、有名なのが件(くだん)と神社姫(じんじゃひめ)です。
件は人間の顔を持ち牛の体をした妖怪で、生まれてすぐに人語で世の中の豊凶や疫病、戦争などの重大な予言をし、予言の後すぐに死んでしまうと伝えられます。
神社姫は美しい人魚の姿をした妖怪で、やはり豊作や疫病の予言を残したとされ、その姿を描いた絵が残っています。
この他にも、白沢(はくたく)や海出人(あまいでびと)、亀女など、予言と疫病除けの力を持つとされた妖怪は数多く伝承されており、当時の刷り物や写本にその絵姿と言い伝えが残されています。
アマビコとアマビエの関係
アマビエ自身も、実はアマビコ(尼彦)と呼ばれる類似の妖怪の一種ではないかとも言われています。
アマビコは江戸後期から明治にかけて各地の資料に現れており、海から出現し豊作と疫病を予言し、自らの姿を写した絵による除災を説く点でアマビエと共通しています。
そのため、妖怪研究家の湯本豪一氏はアマビエはアマビコの誤記ではないかと指摘しています。
一方で姿形(アマビエは魚系の容姿)が異なることから、別個の存在として位置づける考えもあります。
いずれにせよ、「疫病を予言し人々を救おうとする妖怪」というジャンルは当時の民間伝承として広く認識されていたのです。
妖怪は恐怖と娯楽の交差点
江戸時代の妖怪文化は、信仰と娯楽の両面を持ち合わせていました。人々は妖怪に畏怖の念を抱きつつも、その話をフィクションとして楽しむ側面もあったのです。
実際、江戸後期になると妖怪や化け物の物語を集めた百物語の怪談会が流行し、妖怪絵巻や草双紙(くさぞうし)といった娯楽出版物にも妖怪が数多く登場しました。
「妖怪」は当初は恐ろしい存在でしたが、次第にキャラクターとして親しまれるようになっていきます。
例えば河童や天狗なども、各地の伝承では畏れ敬われる存在でしたが、江戸の町では滑稽な存在として描かれるようになるなど、妖怪は人々の想像力で自在に形を変える存在でした。
瓦版と口承で広がる妖怪譚
こうした妖怪譚は瓦版や草双紙などの印刷物によって都市から地方へと伝播し、また文字の読めない人々にも口承(口コミ)で語り伝えられました。
先述のように瓦版のアマビエの話は江戸中に広まり、人々が競って絵を手に入れたといいます。
また、各地の旅芸人や講談師などが妖怪話を演目にすることで、さらに広い層に妖怪の存在が知られていきました。
妖怪は時に人々の不安を和らげ、また娯楽として笑い飛ばすことで、心の安全弁の役割を果たしていたとも言えるでしょう。
アマビエもまた、当時の人々にとっては「怖い疫病を退散してくれるかもしれないありがたい存在」であると同時に、「不思議で面白い話の種」として受け取られていたのかもしれません。
アマビエの忘却と現代での復活
明治以降、妖怪は迷信として扱われた
明治維新以降、日本社会は急速に近代化し、西洋医学や科学的な衛生観念が普及していきました。
それに伴い、妖怪にまつわる迷信や民間信仰も徐々に影を潜めていきます。
明治時代には仏教哲学者の井上円了が妖怪研究(妖怪学)を提唱し、怪異や幽霊などの現象はすべて科学的に説明可能であり、こうした非合理な迷信は撲滅すべきだと主張しました。
井上は当時まだ曖昧だった「妖怪」という言葉を学術的に定義し直し、妖怪は人々を惑わす迷信の総称として扱われるようになります。
これにより、妖怪は人々の日常的な信仰の対象から外れ、研究や文学の題材として位置づけられていきました。
アマビエの名は再び忘れられていった
こうした流れの中で、アマビエも長らく人々の記憶から消えていきました。
実際、先述の熊本における目撃譚も地方の伝説として受け継がれた形跡はなく、昭和に入るまでアマビエの名前が世に出ることはほとんどありませんでした。
アマビエが再び注目を集めるようになったのは昭和後期からです。
1970年代以降、妖怪研究や郷土史の書籍で江戸時代の瓦版「アマビエの図」が写真付きで紹介されるようになり、限られた妖怪マニアの間で名前が知られる程度でした。
水木しげるの登場とマニアの再注目
1990年代には漫画家の水木しげる氏が出版した『図説 日本妖怪大全』などの作品でアマビエがとり上げられ、妖怪ファンの間では密かに知られた存在となっていきます。
水木しげるの代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメにもアマビエが登場したため、「あの人魚のような妖怪がアマビエ」という知識を持っていたファンもいたようです。
とはいえ、一般的にはアマビエは他の有名な妖怪に比べるとマイナーであり、多くの人にとっては名前すら耳にしたことのない存在だったと言えるでしょう。
コロナ禍でアマビエがSNSに降臨!
ところが、現代のパンデミックがこの埋もれた妖怪を文字通り「復活」させることになります。
2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行が起こると、日本でも未知のウイルスに人々は大きな不安を抱きました。
そんな中、江戸時代の妖怪アマビエにまつわる言い伝えがインターネット上で突如話題となったのです。
アマビエチャレンジと広がる祈りの連鎖
きっかけの一つは、2020年3月上旬頃からTwitter上で広がった「#アマビエチャレンジ」と呼ばれる動きでした。
漫画家やイラストレーター、一般の人々がアマビエの絵を次々と描いてSNSに投稿し、「疫病退散」を願うハッシュタグとともに共有し始めたのです。
「写して人に見せなさい」という江戸のアマビエの言葉通りに、みんなでアマビエの姿を広めて疫病封じを祈ろう──そんな半ば洒落と本気が混じった企画でした。
しかしこの試みは人々の心に響き、投稿されたカラフルなアマビエのイラストは瞬く間に何万回と拡散されました。
中には「スマホの壁紙にしてウイルス退散のお守りにしたい」といったコメントを寄せる人もおり、いつしか日本のみならず世界中の人々がアマビエの絵をシェアするようになったのです。
アマビエがキャラクター文化と融合
この現象には、日本人がキャラクター文化を通じて困難を乗り越えようとする一面も表れていました。
かわいらしくデフォルメされたアマビエは、コロナ禍で沈みがちな気持ちを少し明るくしてくれる希望のマスコットのように受け止められました。
実際、日本政府もこのブームに注目し、厚生労働省が公式にアマビエをモチーフとした啓発アイコンを作成して若者向けに感染防止を呼びかけています。
「自分のため、みんなのため、そして大切な人のため。私たち一人ひとりができることをしっかりやっていこう」というメッセージとともに描かれたアマビエのキャラクターは、日本のみならず海外メディアにも紹介され話題となりました。
奇しくも江戸時代の妖怪が、約170年の時を超えて現代の公衆衛生キャンペーンの象徴となったのです。
アマビエが伝える妖怪文化の魅力
忘れ去られた妖怪が、時代を超えて蘇る
アマビエの物語は、妖怪文化の持つ不思議な魅力と力を現代に示してくれました。
一度は忘れ去られた江戸の妖怪が、令和の時代に再び脚光を浴び、人々の心の支えとなる――この現象自体が妖怪の持つ柔軟性と普遍性を物語っています。
妖怪は時代とともに姿を変えるものです。
かつて瓦版で流行したアマビエは、今やデジタルアートやキャラクターグッズとなって私たちの前に現れています。
不安を和らげ、祈りを形にする存在
しかし、その根底にある「人々の不安を和らげ、希望をもたらす」という役割は少しも変わっていません。
妖怪は科学的に見れば虚構の存在かもしれませんが、民間信仰としての意義は決して小さくありません。
見えない疫病に怯えるとき、人々は目に見える形の守り手を求めました。
アマビエのような妖怪は、まさにそうした心の拠り所として機能したのです。
現代でも、多くの人々がアマビエの絵を通じて「みんなでこの困難を乗り越えよう」という連帯感や祈りの気持ちを共有できました。
妖怪文化には、人々の恐れや願いを物語に昇華し、共有する力があると言えるでしょう。
妖怪文化の奥深さと未来へのヒント
アマビエの伝承は一例に過ぎませんが、他にも多くの妖怪が各時代の人々の心を映す鏡となってきました。
妖怪を通じて歴史をひもとくことで、私たちは先人たちの知恵やユーモア、そして祈りの形に触れることができます。
アマビエの物語は、妖怪文化の奥深さと人間の想像力の豊かさを改めて感じさせてくれるエピソードと言えるでしょう。