八岐大蛇(ヤマタノオロチ)とは?
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は、日本神話に登場する伝説上の巨大な蛇の怪物です。
頭が八つ、尾が八つもある異形の大蛇で、その体は八つの谷と八つの丘にまたがるほど巨大だと描写されています。
古事記によれば、ヤマタノオロチの目は真っ赤でホオズキのように光り、苔むした体にはヒノキやスギの木が生えるほど年老いた怪物でした。
腹部は常に血でただれ、見るも恐ろしい姿をしています。
その名に含まれる「八」(ヤ)は「たくさん」を意味することから、八岐大蛇とは「幾重にも分かれた大蛇」、すなわち非常に巨大で多頭の蛇を指すと考えられます。
日本神話の中でも屈指の怪物であり、後述する英雄スサノオノミコトによって退治されたことで知られています。
スサノオが地上で出会った老夫婦とその娘を救うために、この八岐大蛇を退治し、その尾から伝説の名剣「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」を手に入れる物語は、日本人なら一度は耳にしたことがある有名な神話です。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは?
八岐大蛇を退治する英雄、スサノオノミコトは、日本神話における代表的な神の一柱で、最高神アマテラスオオミカミの弟神です。
イザナギの命が禊ぎ(みそぎ)を行った際に鼻から生まれた神であり、海原を治めるよう命じられたことから海や嵐を司る神ともされています。
しかし、高天原(神々の天上の国)においては乱暴者で、姉のアマテラスが治める天界で数々の悪さを働き、神々を困らせました。
例えば、スサノオは姉の機織り小屋に馬を投げ込むなどの暴挙に及び、アマテラスが天岩戸に隠れる騒動(天岩戸事件)を引き起こす原因を作っています。
このような振る舞いにより、ついにスサノオは高天原を追放されることになりました。
高天原を追われたスサノオは地上界の出雲国(現在の島根県東部)へ降り立ちます。
荒々しい性格の持ち主でありながら、地上では一転して人々を救う英雄的な活躍を見せます。
荒ぶる嵐の神から一転して救世主となるスサノオの二面性は、日本神話の魅力の一つです。
後述する八岐大蛇退治の伝説では、その勇敢さと機転で大蛇を倒し、絶体絶命の娘を救い出す「英雄譚」の主人公となります。
神話の中でのスサノオは、粗暴さと優しさを合わせ持つ破天荒な英雄として描かれており、退治後には救った娘と結婚して出雲で暮らすことから、縁結びの神としても信仰されるようになりました。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)討伐伝説
登場人物一覧
神々と英雄
- スサノオノミコト(素戔嗚尊)
物語の主人公。乱暴な性格だが、ヤマタノオロチ討伐の英雄。高天原を追放され、地上でオロチと戦う。 - アマテラスオオミカミ(天照大神)
スサノオの姉。高天原の最高神で太陽の女神。スサノオの乱行により岩戸隠れ事件を起こす。
出雲の地の神々
- アシナヅチ(脚摩乳)
クシナダヒメの父。元々は出雲地方の地主神で、ヤマタノオロチに娘たちを奪われて嘆く。 - テナヅチ(手摩乳)
クシナダヒメの母。夫と共に、最後に残った娘を守ろうとするが、ヤマタノオロチの脅威に怯える。 - クシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫)
物語のヒロイン。八岐大蛇の生贄にされる運命だったが、スサノオによって救われ、のちに彼の妻となる。
怪物
- ヤマタノオロチ(八岐大蛇)
物語の敵。頭と尾が八つある巨大な蛇の怪物。毎年若い娘を生贄に要求し、出雲の地を恐怖に陥れていた。
伝説の剣
- 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ) / 草薙剣(くさなぎのつるぎ)
ヤマタノオロチの尾の中から見つかった神剣。後に三種の神器の一つとなり、天皇に受け継がれる。
物語の始まり:出雲の地での邂逅
高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(ひのかわ、現在の斐伊川)の上流にある鳥髪(とりかみ)の地=船通山(ふなつうざん)付近に降り立ちました。
川を下ってくる箸が一本流れてくるのを見て、人里が近いことを察したスサノオが川上へと進むと、ある家にたどり着きます。
そこで彼が目にしたのは、一人の美しい娘を真ん中にして嘆き泣く老夫婦の姿でした。
スサノオが事情を尋ねると、老夫婦は自分たちが国津神(くにつかみ、地上の神)で名をアシナヅチ(脚摩乳)とテナヅチ(手摩乳)といい、愛しい娘の名はクシナダヒメ(櫛名田比売)だと紹介します。
老父アシナヅチは涙ながらに語りました。
「実は私たち夫婦にはかつて八人の娘がおりました。しかし毎年山から恐ろしい大蛇ヤマタノオロチが現れては、娘を一人ずつ生贄に奪っていったのです。今年もオロチの来る時期となり、最後に残ったこのクシナダヒメまで食われてしまう運命なのです…」
八人いた娘は次々と大蛇に呑み込まれ、今年はいよいよ末娘クシナダヒメが犠牲になる番――最愛の娘を守ることができない無力感から、老夫婦は泣き崩れていたのでした。
クシナダヒメとその両親の嘆き
クシナダヒメ(奇稲田姫)はその名に「稲田」が含まれるように稲作(農耕)の守護神ともされる女神で、八岐大蛇伝説ではスサノオに助けられるヒロインです。
老夫婦アシナヅチとテナヅチは地元出雲の地主神ですが、自らの力では娘を守れず絶望していました。
鬼神のごとき大蛇は毎年同じ時期に村を襲って娘を要求するため、里の人々は大蛇の祟りを恐れて生贄を差し出すほかありません。
その無念さと悲しみを知ったスサノオは、自分が大蛇を退治する代わりにクシナダヒメを妻として娶ることを提案します。
突然の申し出に老夫婦は驚きますが、目の前の若者がただ者ではない神であると気付き、その条件を受け入れました。
スサノオはまずクシナダヒメの身を守るため、一旦彼女を神秘の力で櫛(くし)の姿に変えます。
小さな櫛となったクシナダヒメをスサノオは自分の髪に挿し込み、「必ず助けるから安心していなさい」と告げました。
こうしてスサノオは、老夫婦の嘆きを力に変えて八岐大蛇退治に立ち向かうことを決意します。
スサノオの策と準備(八つの樽の酒)
怪物を倒すと約束したスサノオは、まず老夫婦にある作戦の準備をするよう命じます。
その策とは、八岐大蛇を酔わせて無力化する巧妙な罠でした。
スサノオの指示のもと、アシナヅチとテナヅチは強い酒を大量に醸造します。
この酒は「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」とも呼ばれ、何度も蒸留・濾過を重ねた特別に強い酒だったと伝わります。
用意した酒を大きな桶や甕(かめ)に八つに分けて注ぎ、家の周囲に八カ所の門を作ってその内側に酒樽を配置しました。
さらに八つの門戸の外には、それぞれ八重垣(やえがき)と呼ばれる柵を巡らせました。
これは大蛇が酒に誘われてやって来た際に一直線に襲いかかってこないようにするため、ある種の仕切り・誘導路だったとも考えられています(この八重垣という言葉は後にスサノオが詠んだ和歌にも登場します)。
万全の罠を張り巡らせたスサノオは、自らは草薙剣の前身である十拳剣(とつかのつるぎ)を腰に帯び、大蛇が現れるのを待ち構えました。
やがて娘を求めて八岐大蛇が山から姿を現します。
血に飢えた大蛇は、クシナダヒメのいる家にずるずると迫ってきました。
その巨大な胴体はうねりながら谷を埋め、八つの首が辺りを睥睨します。
すると、大蛇は家の周囲に並べられた酒の匂いに気付きました。
見ると柵の内側に美味そうな酒が満ちた八つの大甕があります。
酒好きな怪物だったのか、八岐大蛇は貪るように八つの甕にそれぞれ首を突っ込み、酒をゴクゴクと飲み始めました。
スサノオが用意した強酒は大蛇の喉を焼き、たちまち八つの頭すべてを酩酊させます。
たくらみに気付いた時には遅く、ヤマタノオロチは激しい毒酒にすっかり酔いしれてしまいました。
八岐大蛇との戦い
完全に泥酔した八岐大蛇は、やがてその巨体を横たえ動かなくなりました。
今が好機と見たスサノオは、髪に挿した櫛(クシナダヒメ)に「いよいよ退治してみせる」と声をかけ、腰の十拳剣を抜き放ちます。
そして、眠り込む大蛇めがけて一気に斬りかかったのです。
怒涛の勢いで振るわれる神剣は、酔いつぶれて抵抗できないオロチの首を次々に斬り落としていきました。
八つの頭は血飛沫とともに地に落ち、うねる尾も容赦なく斬り刻まれます。
こうしてスサノオは八岐大蛇をずたずたに斬り裂き、見事これを討ち果たしました。
激闘の末、怪物は絶命し、長年出雲の地を 荒らしてきた脅威がついに去りました。
スサノオが勝利の凱歌を上げる中、ふと見ると斬り落とした大蛇の尾の一本から何か硬いものに剣が当たる感触があります。
不審に思い大蛇の尾を割いて中を確かめてみると、そこには立派な一振りの剣が納まっていました。
これこそ後に「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と名付けられ、さらに草薙剣と呼ばれるようになる天下の名剣です。
思いもよらぬ宝剣の出現にスサノオも驚きますが、自らの剣が刃こぼれするほど堅い剣が大蛇の体内にあった理由を悟り、天にいる姉のアマテラス大神へこの剣を献上することにしました。
こうしてスサノオは八岐大蛇を退治するとともに貴重な神剣を手に入れ、後にこれを天上へ届け出ることで、姉への償いとしました。
大蛇の血で辺りの川は真っ赤に染まりましたが、出雲の地には久しぶりに平和が訪れたのです。
草薙剣(天叢雲剣)の発見
スサノオが八岐大蛇の尾から見出した天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、のちに三種の神器の一つに数えられる名剣となります。
草木も眠る丑三つ時、ではなく真昼間の戦いであったにもかかわらず、大蛇の体内から現れたこの剣は神秘的な霊力を帯びていたと語られています。
スサノオは討伐後、約束通り櫛から元の姿に戻したクシナダヒメを正式に妻として迎えました。
そしてクシナダヒメの両親にも感謝を告げると、大蛇退治の戦利品である天叢雲剣を携えて高天原のアマテラスに献上すべく神界へ届けました。
この剣はアマテラスのもとで清められ、八咫鏡・八尺瓊勾玉と並ぶ皇室の神器「三種の神器」の一つとして扱われるようになります。
天叢雲剣は後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、地上に戻されて皇孫に授けられ、代々天皇に伝わる国家鎮護の剣となりました。
この草薙剣は神話の先々で再び重要な役割を果たすことになります(詳細は後述)。
かくしてスサノオは見事ヤマタノオロチを退治し、美しいクシナダヒメを救い出して妻とするという大功績を成し遂げたのです。
八岐大蛇とスサノオのその後
八岐大蛇を退治したスサノオノミコトは、救い出したクシナダヒメを正式に妻とし、彼女とともに出雲の地に留まって新たな生活を始めます。
伝説によれば、スサノオはクシナダヒメとの新居を出雲の須賀(すが)という場所に定めました。
須賀に宮殿を建て終えたとき、スサノオは喜びのあまり有名な和歌を詠んだとされています。
それが日本最古の和歌とも称される「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という歌です(意味:幾重にも立ち昇る雲よ。その雲のように幾重にも垣をめぐらし、妻を囲う八重垣を作ったよ)。
この歌にはスサノオの心がすがすがしく晴れた(須賀にかけた地名の由来)こと、そして愛する妻を守るために家を築いた喜びが込められています。
現在、その須賀の地には須我神社(島根県雲南市)が建ち、境内にはスサノオが詠んだ和歌の石碑が残されています。
スサノオとクシナダヒメは須賀で仲睦まじく暮らし、やがてヤシマジヌミという御子神(みこがみ)をもうけました。
このヤシマジヌミ神は二人の子供で、後に出雲の大地を守護する神々の系譜に連なっていきます。
一方、スサノオが天に届け出た天叢雲剣(草薙剣)は、アマテラスオオミカミのもとからニニギノミコトら天孫族へ授けられ、代々皇室に受け継がれることになりました。
時が下り、第12代景行天皇の御子である英雄ヤマトタケルノミコトが東国平定に向かう際、伯母のヤマトヒメからこの草薙剣を託される場面が『古事記』に描かれています。
草薙剣を帯びたヤマトタケルは各地で数々の困難を乗り越え、あるときは敵に囲まれ野火を放たれるという絶体絶命の危機に陥ります。
しかし彼は咄嗟に草薙剣で周囲の草を薙ぎ払い、逆に火の勢いを操って難を逃れました。
この逸話から天叢雲剣は「草薙剣」の名で呼ばれるようになったのです(草を薙いで自らを守った剣という意味)。
ヤマトタケルはその後も各地で武勲を立てますが、最後は伊吹山の神との戦いで命を落とし、草薙剣は尾張国(現在の愛知県)に留め置かれることになります。
現在、草薙剣は名古屋市の熱田神宮に御神体として祀られているとされ(実物は門外不出)、日本の皇位継承を示す三種の神器の一つとして今なお象徴的な存在となっています。
スサノオノミコト自身は、八岐大蛇退治という大功によって地上での地位を確かなものとしました。
彼はその後も出雲で大国主神(オオクニヌシ)らにつながる神々の祖先として位置づけられます。
オオクニヌシはスサノオの子孫(あるいは娘婿)とされる地上の大国主で、因幡の白兎の話などで知られる出雲の主祭神です。
オオクニヌシもまた多くの妻を迎えた縁結びの大神であり、スサノオ譲りの勇敢さと優しさを持つ英雄神として描かれています。
こうした神話の繋がりから、スサノオとその後裔(あるいは関係神)であるオオクニヌシがともに出雲大社などで祀られ、出雲神話の系譜を形作っています。さらにスサノオは後世、牛頭天王(ごずてんのう)という異名で疫病除けの神とも習合され、京都の八坂神社をはじめ全国各地の祇園信仰・氷川神社などで広く祀られるようになりました。
特に関東に多い氷川神社の社名は、ヤマタノオロチ伝説の舞台である斐伊川(ひいかわ)に由来するとも言われ、境内の池には蛇神を祀る信仰も見られます。
このように、スサノオは厄災を退け福を招く神としての側面も持ち、八岐大蛇退治で見せた勇敢さと慈悲深さゆえに、後世まで多面的に崇敬されていったのです。
諸説あり:八岐大蛇伝説の解釈
古代の人々は、この壮大な神話をただの物語としてではなく、身の回りの自然現象や出来事と結びつけて伝承してきたと考えられます。
八岐大蛇伝説には、神話学者や歴史研究者の間でさまざまな解釈説が提唱されてきました。
ここでは地理・歴史的視点からの説を中心に、いくつか代表的なものを紹介します。
自然現象説:洪水・水神の象徴
八岐大蛇はその蛇という性質から、水の神あるいは水害の象徴とみなす説があります。
クシナダヒメが「稲田の姫」であることからも、物語は氾濫する川(洪水の神)から稲田(農耕地)を守る神話だと解釈することができるのです。
実際、神話の舞台とされる出雲地方を流れる斐伊川(ひいかわ)は、古くより度重なる洪水に見舞われ「暴れ川」として恐れられてきました。
八岐大蛇が「毎年」現れる点も定期的な雨季の洪水を連想させます。
スサノオが巡らせた「八重垣」は治水のための堤防、「八つの門」は水門や堰、「八つの酒樽」は遊水池(貯水池)に相当し、氾濫する川の水勢を弱める治水策を暗示しているとも言われます。
斐伊川流域では砂鉄採取で川床の砂が赤茶けて染まるため、大蛇の血で川が赤く染まったという描写も現実の風景に重なります。
このように、ヤマタノオロチ神話は古代出雲の人々が毎年の洪水被害と戦い、田畑を守った経験を物語に投影したものと見る説が有力です。
実際、ヘビや龍は昔から水神として祀られる例が多く、ヤマタノオロチも元来は地方の山の神・水の神であり、その信仰が民間にあったとも指摘されています。
技術・文化説:鉄器文明の象徴
別の視点として、八岐大蛇伝説には製鉄・鉄器文化の痕跡が読み取れるという説もあります。
大蛇の「真っ赤にただれた腹」はまるで鉄を精錬する炉の炎や溶けた鉄のイメージを想起させ、尾から名剣が出現する展開はそのまま鉄の産出を表しているとも考えられます。
記紀神話の描写を比喩的に解釈すると、ヤマタノオロチの赤い目と血のような腹は、たたら製鉄に携わる職人の目の色(炉の赤を映している)や、燃え盛る炉の中で輝く鉄と流れ出る鉄滓(てっさい:製鉄の副産物であるスラグ)を暗示しているというのです。
さらに、尾から出てきた草薙剣が鉄でできた刀剣であった点も重要視されます。
このことから、一部の研究者はヤマタノオロチ伝説を大和政権が出雲地方の製鉄民を服属させた歴史の象徴ではないかと解釈しています。
すなわち、スサノオ(大和の英雄)がオロチ(出雲の鉄を操る勢力)を倒して剣(鉄の技術)を得たという物語は、神話の形を借りた古代国家統一の物語とも読み取れるのです。
この説が事実かは定かではありませんが、少なくとも神話の背後に古代の製鉄文化や部族間抗争が垣間見える興味深い視点です。
他地域に類似する伝説との比較
スサノオによる八岐大蛇退治の物語は、「英雄が怪物を退治し、乙女を救う」という構図を持ち、世界各地の神話・伝説に通じる普遍的なモチーフです。
例えばギリシャ神話には英雄ペルセウスが海の怪物からアンドロメダ姫を救う物語があり、これなどはスサノオとクシナダヒメの神話とよく似たパターンです。
このような英雄譚は神話学では「ペルセウス・アンドロメダ型」とも呼ばれ、世界中に見られる物語類型となっています。
さらに、古代ヒッタイトの神話にはイルヤンカという蛇の怪物が登場し、英雄フッパシヤが酒やご馳走を振る舞って油断させたうえで退治するというエピソードが伝わっています。
このヒッタイト神話の討伐法は大蛇に酒を飲ませて倒すという点でヤマタノオロチ退治と酷似しており、偶然というには興味深い類似です。
また、エジプト神話でも太陽神ラーが猛女神セクメトを酔わせて暴走を止めたという伝承があり、日本のみならず世界の神話で酒によって怪物の力を削ぐ知恵が見られます。
日本国内にも、大蛇や龍を退治する伝説は各地に残っており、多くは水害の克服や土地の平定を象徴するものとして語り継がれています。
八岐大蛇神話はそうした世界と日本各地の物語の一つの頂点とも言える存在であり、その比較を通じて古今東西の文化交流や、人類共通の想像力のパターンをうかがい知ることができます。
現代に残る八岐大蛇伝説
日本神話の代表的なエピソードである八岐大蛇(ヤマタノオロチ)討伐は、現代でも様々な形で語り継がれています。
特に出雲地方には、この伝説に関する史跡や観光スポットが点在しており、神話の世界を身近に感じられます。
1. 出雲市駅にあるスサノオとヤマタノオロチの像
島根県出雲市駅の前には、スサノオノミコトとヤマタノオロチの戦いを再現したブロンズ像があります。
この像は、神話のクライマックスである「八岐大蛇討伐」のシーンを描いており、スサノオが剣を構え、大蛇に立ち向かう迫力ある姿が再現されています。
出雲地方を訪れた際には、まずこの像をチェックし、神話の世界に浸るのがおすすめです。
住所:〒693-0001 島根県出雲市今市町
2. 須我神社(スサノオとクシナダヒメの新居跡)
須我神社は、スサノオノミコトとクシナダヒメが結婚し、新居を構えたと伝わる場所です。
スサノオはこの地を「須賀」と名付け、喜びのあまり「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という和歌を詠みました。
これは日本最古の和歌とされ、須我神社にはその歌碑が残されています。
住所:〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260
3. 八重垣神社(クシナダヒメを祀る神社)
八重垣神社は、クシナダヒメを祀る神社として知られています。
スサノオがクシナダヒメを守るために「八重垣(やえがき)」を作ったことが由来とされており、縁結びの神社として人気があります。
境内には「鏡の池」があり、紙に硬貨を乗せて浮かべることで縁結びの運勢を占うことができます。
住所:〒690-0035 島根県松江市佐草町227
4.出雲神話まつり(八岐大蛇神楽の上演)
出雲神話まつりは、毎年8月に出雲市で開催される伝統的なお祭りです。
祭りの目玉は「八岐大蛇神楽(やまたのおろちかぐら)」の上演で、巨大な蛇の姿をした演者たちが、スサノオとの戦いを迫力満点に演じます。
神話の世界を体感できる貴重な機会で、多くの観光客が訪れます。
住所:〒693-0058 島根県出雲市矢野町999(会場:出雲ドーム)
現代カルチャーでの登場
八岐大蛇は、創作のモチーフとしても現代のポップカルチャーにしばしば登場します。
古典芸能の世界では、歌舞伎の演目『日本振袖始(にほんふりそではじめ)』が八岐大蛇とスサノオを題材にしており、迫力ある大蛇の人形や早変わりで観客を魅了します。
この物語は漫画やゲームにもよく登場する有名な神話であり、日本人に限らず世界中のファンタジーファンにも知られています。
例えば、人気ゲーム『大神』ではヤマタノオロチがボスキャラクターとして登場し、神話さながらに酒で酔わせて退治するシーンが描かれています。
また、漫画・アニメ『NARUTO』の大蛇丸(オロチマル)やその術「八岐の術」はヤマタノオロチから着想を得たキャラクターと言われ、巨大な八頭の蛇に変身する描写がなされています。
特撮映画の世界でも、東宝の映画『日本誕生』(1959年)ではスサノオ対ヤマタノオロチの名場面が映像化され、平成期の映画『ヤマトタケル/大蛇退治』(1994年、別題『八岐大蛇の逆襲』)でもラスボスとして八岐大蛇が登場しました。
現代劇からゲーム、アニメに至るまで、八岐大蛇は日本のドラゴン像としてしばしばモチーフに採用され、その度にスサノオとの神話が引き合いに出されています。
こうした創作を通じて、古代から伝わる神話が新たな世代にも受け継がれ、八岐大蛇の名は世界中のフィクションの中で不死鳥のごとく蘇り続けているのです。
まとめ:八岐大蛇伝説の魅力
八岐大蛇退治の物語は、古代から現代に至るまで多くの人々を惹きつけてきました。
その魅力は何と言っても、スケールの大きな冒険譚でありながら、人々の暮らし(農耕や治水)や自然現象(洪水や火山)とも密接に結びついている点にあります。
勇猛な英雄スサノオが知恵と勇気をもって怪物に立ち向かい、愛する者を救う物語は、いつの時代でも心を熱くさせる普遍的なロマンを秘めています。
さらに、この伝説には剣の出現や和歌の誕生など、多くの象徴的エピソードが折り重なっており、日本文化の源流を示す奥深さも併せ持っています。
八岐大蛇伝説は単なる勧善懲悪のファンタジーに留まらず、古代日本人の世界観や信仰、自然との関わりを今に伝える貴重な物語なのです。